2008年 06月 06日
民草ということ |
捨てられし民草ほつほつ帰り来てさくら花満つ国土 六十年
これは 嘉野 幸さんの 短歌 「 四月六日 」 の三首目の歌である。
毎年巡り来る”朝鮮よりの過酷な引揚”の悪夢に苛まれる女性の叫びである。
私は激烈な彼女の歌も記憶している。
国敗れて脱くるすべなき北鮮にわがジョスランの子守唄うたふ
雪原にやまとをみなご狩られ居て洗ふソ連の戒衣穢きを
四人の子ひしと抱きて北鮮の帰るべき凍河越えてきしなり
1985年 2月
中国孤児てふ後影深く淋しし吾子の年端に似たる君たち
1993年 9月 沖縄の日
神を招く風のまにまに草花火うすくれなゐに今日沖縄の日
戦後処理誰が為すべき為さざりしあなにやし花鳥風月のくに
2001年 4月
如月は棄民のわれの ゆべもまた憑かれしごとき引揚げの夢
2002年 2月
「漂 民」どきりと聞きぬ我の身の一九四五年敗残の冬
2003年 4月
襤褸着て冬豆満江渡り来て 脱北者げにげに吾に似たるかほ
2004年 6月
六十年 前と同じか彼の声がとほい邦イラクへ軍靴はしらす
一人負ひ三人手を引きまどひたる凍野は 鬼みち 今も現実
過去は過去今は今と思へどもくりかへさるるもののおぞまし
人道に銃や装甲車似会ふのかマハトマガンジー何故か恋しき
民草 この言葉が好きだ!
「 金芝河 」 が 使うと たまらなくぴったりなのだ。 民衆 よりも 民草なのだ。
わたしは1941年生まれである。まもなく太平洋戦争が始まった年である。
生を受けた7日後に父親に 召集令状が来たという。
私がこの「母」に手をひかれ必死で河を渡ったかもしれないと言う思いに駆られるときがある。
捨てられ、餓死し、溺れ死に、虐殺され、彼の地の人に託され たかもしれない。
今回私は朝鮮半島に旅をした。
1910年日韓併合から100年をあと二年にまじかに迎える五月の末であった。
「 江華島 」 の砲台より間近に黄砂煙る北を眺めた。
母に手を曳かれ他の兄弟妹全部で五人奇跡的に脱出した、四歳の男児は後に小学校六年生の文集で” 朝鮮での思い出”としてこう語っている。
「前略 朝三時に起きて出発しました。方向はわからなかったが、海を行く事にしたらしく海の方へ向かって行った。海州の海岸は時間によって、海の満干の差がとても大きい。だからひいているとき
、海の中を歩くのだ。海の中をあるいた。ここは川などがあって、物凄い有様だった。海は水がすこしあり、波の形をした泥と砂は、夜見たらじごくのようだった。。その頃は引揚の事は評判だったので、どろにはまって死んだ人の話をよく聞いた。海の中では、人が歩くと、ずぶずぶとはまってしまいます。後略」
当に江華島から見る干潟はその悪夢の模様を今も現実に真下に姿をみせていたのだ。
北鮮は間近にあるはずなのだが見えないのだ。今私は南鮮の人達に連れられて江華島条約が締結されたこの地・日韓併合の始まりともいえるこの地に呆然と立っている。
日本の民草、南鮮の民草と語り合いながら 近くて遠い北鮮の民草に思いを馳せている。
大事な事そうだ 在日 という民草とも共にだ。
南北朝鮮が一緒になって「朝鮮」 になれる日が来ることを そして 東北アジア共同体が実現する願いを込めて!!
老鶯7

これは 嘉野 幸さんの 短歌 「 四月六日 」 の三首目の歌である。
毎年巡り来る”朝鮮よりの過酷な引揚”の悪夢に苛まれる女性の叫びである。
私は激烈な彼女の歌も記憶している。
国敗れて脱くるすべなき北鮮にわがジョスランの子守唄うたふ
雪原にやまとをみなご狩られ居て洗ふソ連の戒衣穢きを
四人の子ひしと抱きて北鮮の帰るべき凍河越えてきしなり
1985年 2月
中国孤児てふ後影深く淋しし吾子の年端に似たる君たち
1993年 9月 沖縄の日
神を招く風のまにまに草花火うすくれなゐに今日沖縄の日
戦後処理誰が為すべき為さざりしあなにやし花鳥風月のくに
2001年 4月
如月は棄民のわれの ゆべもまた憑かれしごとき引揚げの夢
2002年 2月
「漂 民」どきりと聞きぬ我の身の一九四五年敗残の冬
2003年 4月
襤褸着て冬豆満江渡り来て 脱北者げにげに吾に似たるかほ
2004年 6月
六十年 前と同じか彼の声がとほい邦イラクへ軍靴はしらす
一人負ひ三人手を引きまどひたる凍野は 鬼みち 今も現実
過去は過去今は今と思へどもくりかへさるるもののおぞまし
人道に銃や装甲車似会ふのかマハトマガンジー何故か恋しき
民草 この言葉が好きだ!
「 金芝河 」 が 使うと たまらなくぴったりなのだ。 民衆 よりも 民草なのだ。
わたしは1941年生まれである。まもなく太平洋戦争が始まった年である。
生を受けた7日後に父親に 召集令状が来たという。
私がこの「母」に手をひかれ必死で河を渡ったかもしれないと言う思いに駆られるときがある。
捨てられ、餓死し、溺れ死に、虐殺され、彼の地の人に託され たかもしれない。
今回私は朝鮮半島に旅をした。
1910年日韓併合から100年をあと二年にまじかに迎える五月の末であった。
「 江華島 」 の砲台より間近に黄砂煙る北を眺めた。
母に手を曳かれ他の兄弟妹全部で五人奇跡的に脱出した、四歳の男児は後に小学校六年生の文集で” 朝鮮での思い出”としてこう語っている。
「前略 朝三時に起きて出発しました。方向はわからなかったが、海を行く事にしたらしく海の方へ向かって行った。海州の海岸は時間によって、海の満干の差がとても大きい。だからひいているとき
、海の中を歩くのだ。海の中をあるいた。ここは川などがあって、物凄い有様だった。海は水がすこしあり、波の形をした泥と砂は、夜見たらじごくのようだった。。その頃は引揚の事は評判だったので、どろにはまって死んだ人の話をよく聞いた。海の中では、人が歩くと、ずぶずぶとはまってしまいます。後略」
当に江華島から見る干潟はその悪夢の模様を今も現実に真下に姿をみせていたのだ。
北鮮は間近にあるはずなのだが見えないのだ。今私は南鮮の人達に連れられて江華島条約が締結されたこの地・日韓併合の始まりともいえるこの地に呆然と立っている。
日本の民草、南鮮の民草と語り合いながら 近くて遠い北鮮の民草に思いを馳せている。
大事な事そうだ 在日 という民草とも共にだ。
南北朝鮮が一緒になって「朝鮮」 になれる日が来ることを そして 東北アジア共同体が実現する願いを込めて!!
老鶯7

タイトル : 捨てられし民草
大和の四季を味わいに時々訪ねる『夏鶯一喝』ブログさん。 6月2日、6月6日の記事にお母さま 嘉野 幸さんの歌が載っています。 『捨てられし民草ほつほつ帰り来てさくら花満つ国土 六十年』 皆さまをご案内させていただいときに伺った、朝鮮からの引き揚げのときのお話が思い出されてきます。 『過去は過去今は今と思へどもくりかへさるるもののおぞまし』 歌に伝え残して下さるお母さまに感謝申し上げます。...more
大和の四季を味わいに時々訪ねる『夏鶯一喝』ブログさん。 6月2日、6月6日の記事にお母さま 嘉野 幸さんの歌が載っています。 『捨てられし民草ほつほつ帰り来てさくら花満つ国土 六十年』 皆さまをご案内させていただいときに伺った、朝鮮からの引き揚げのときのお話が思い出されてきます。 『過去は過去今は今と思へどもくりかへさるるもののおぞまし』 歌に伝え残して下さるお母さまに感謝申し上げます。...more
こんにちは!
お母さまの歌が胸に沁みます。
トラバさせていただきました。
お母さまの歌が胸に沁みます。
トラバさせていただきました。
ありがとうございます。
何でもありさん。いつも 貴方が加計呂麻を訪れる沢山の
”民草”の想いを受け止めていただいて感激しています。良き出会いがこれからも!!
何でもありさん。いつも 貴方が加計呂麻を訪れる沢山の
”民草”の想いを受け止めていただいて感激しています。良き出会いがこれからも!!

